塾長の経歴は?
なぜ英語が出来るの?
塾長 丹上卓哉の経歴や、
これまでどのような
英語学習をしてきたか
をお伝えします。
丹上の ひととなり や、
英語学習方法を
知る機会になれば幸いです。
都立の中堅高校に
通っていました。
成績は、
ほぼ学年最下位でした。
幼少期や10代前半を
海外で過ごした経験も
ありません。
ごく普通の
落ちこぼれ高校生でした。
部活は水泳部に在籍。
屋外プールのため
夏に泳ぎ、
それ以外の季節は
しっかり走り込みと
筋トレをする
かなりハードな部活でした。
また、それを言い訳に
勉強をしない高校生でした。
部活では
「主将」をしていました。
というものの、
その他に「部長」という役職も
ありましたので、
実質的には「副部長」
といったぐらいの役割を、
部内でしていました。
校則があまり厳しくない高校で、
アルバイトも
バイクに乗るのも
OKでした。
バイク通学は
禁じられていましたが、
それでもバイクで学校に
行くような高校生でした。
アルバイトをして貯金をし、
原付スクーターが速くなるよう、
改造するのが楽しかったことを
覚えています
〈もちろん
法律の範囲内でしたが〉。
近所のお兄さんが、
バイクを改造するのを
手伝ってくれました。
この頃、
時間は山ほどあったのですが、
まるで勉強に費(つい)やして
いませんでした。
高校2年生の時、起床すると、
お昼のテレビ番組
「笑っていいとも」が
始まっているような生活を
送っていました。
6時間目の授業に
遅刻して行くほどで、
ほぼ部活をするために、
学校に行っているような
ものでした。
ある日のこと、
いつもは優しい担任の先生に
真顔(まがお)で
「丹上君、
つぎ遅刻したら、留年ね」
と告(つ)げられました。
思い返せば、
本当にどうしようもない学生で、
先生がたに、
ご迷惑のかけ通しでした。
そういう生活をしていたものの、
この頃から
将来どう生きるのか
漠然(ばくぜん)と
考え始めた気がします
〈もちろん、考えたところで、
全く分かりませんでした〉。
ただ、
読書は子供の時から好きで、
高校生の頃も気になる本だけ、
夜中に読みふけっていました。
自分の生き方についての
ヒントを、本の中で
見つけたかったのかも
しれません。
そして、翌日、
目を覚ますと
「笑っていいとも」が
始まる時間になっている、
という
自堕落(じだらく)な生活を
繰り返していました。
◇水泳部の仲間とともに (丹上:右から3人目)
高校3年生になっても、
進路がわからずにいました。
学年で
下から数えた方が
早い成績でありながら、
大学に行ってみたい気持ちが
ありました。
当時、現代文の成績だけは、
良かったことを覚えています。
模擬試験で
「主人公の最も適切な
気持ちを選べ」
という問いがあると、
「これかな?
なぜかはわかんないけど、
そういう気がする」
といったように
選んでいました。
普段から
好きな本だけは
熟読するせいなのか、
正解することが
多かったように思います。
現代文の成績は
偏差値70を超え、
都で上位何番
ということもありました。
現代文での高い成績が
「ひょっとしたら、
大学に受かるかもしれない」と、
調子に乗る原因でした。
他科目の成績は、
壊滅的でした。
英語はもちろん、
出来ませんでした。
また、社会科目は
「教科書が薄い」という理由で
政治経済を選んでおり、
こちらもかんばしい成績では
ありませんでした。
そういったふまじめさの反面、
大学に落ちたら
陸上自衛隊に行こう
と思っており
入隊試験を受けました
(「バイク部隊に入りたい」と、
夢見がちなことを
言っていましたが)。
お笑いが好きで、
関西の大学に行きたい
と 思っていました。
英語と現代文の2科目のみで
受験できる大学を受けました。
英語が出来ず受かるはずなく、
不合格になりました。
不合格通知を見て初めて、
自分の馬鹿さ加減と
中途半端さ加減に
情けなくなりました。
受験大学すべてに
不合格となりました。
自衛隊には行かず、
「浪人をさせてください」
と親に頼みこみました。
当然のことながら、
きつく叱られ、
以前行ったことのある
思い出の場所、
静岡県熱海市へ逃げました。
夜、寝る場所を求め、
駅近くのコインロッカーに
行きました。
プラスチックのベンチで
横になっている私は
どう見ても不審者でした。
寒さで寝られず、
コインロッカーの注意書きを
見つめている内に
眠りに落ちました。
朝になり、
ガヤガヤとした声に目を覚ますと
私の周りに
中学生が集まっていました。
その日は修学旅行で、
集合場所が
そのコインロッカー前
の様でした。
安住の地を求め、
砂浜に移動。
なけなしのお金で、
海岸沿いのファミリーレストラン
「すかいらーく」に入店。
暖を取りながら、
これまでの自分を
振り返りました。
「これから1年、
本気で勉強しなければ
おれは本格的に
ダメなやつだなあ」と、
いつになく、
しんみりした気持ちに
なっていました。
どの大学にも
合格しなかった私は、
ありがたいことに
実家に住みながら、
浪人生活をさせていただける
ことになりました。
その春、自転車で通える距離に、
小さな予備校ができたことを
新聞の折り込み広告で
知りました。
入校相談会に行くと、
経営者で英語講師の先生が
大阪出身の
面白そうな先生でした。
当時、
勉強をした経験のない私には
入る塾を比較しようにも
何を基準に比較すべきか
まったくわかりませんでした。
あまり迷わずに、
その予備校で
勉強することに決めました。
その予備校での英語学習では
・「英文法はやらなくていい」
・「単語は根性でおぼえろ」
・「音読しろ」
という指示が出ました。
ひいひい言いながら単語を覚え、
喉がガラガラになるほど
毎日音読しました。
(音読のテキストは
増進会出版
「速読英単語」必修編を
使っていました)
[写真 編集中]
思い返せば、
音読を徹底的にやったことは、
スピーキングに
大きな効果が出たと思います。
その後、
ニュージーランドに滞在した際、
流暢〈りゅうちょう〉に
話せるようになるまで
さほど時間が
かからなかったのは、
これでもかというほど
音読した経験が
あったからだと思います。
ただ、浪人生の時、
音読を熱心に
おこなっていたものの
模擬試験で偏差値が
思うように伸びませんでした。
ある程度の所まで
(偏差値55ほど)
行くのですが、
その先に上がりませんでした。
典型的な頭打ちの状態でした。
英文法知識がないのですから、
長文を深く読み込めるはずも
ありません。
なお、私があの頃の自分に
アドバイスをするなら、
以下の様に伝えます。
***************
☆ 英文法を学習しなさい
☆ まずは英文法の
本質的な部分だけ
短期間で全般的に理解しなさい
☆ その文法知識を
長文読解やスピーキングの中で
瞬間的に使えるまで
定着させなさい
***************
浪人生の頃
「いつか爆発的に
英語が出来る様になる」
と、根拠なく信じて
がんばっていました。
成績が上がらないのは
自分の根性が足りないのだ
と思い、
がんばって
へとへと になっていました。
この時期、
われながら本当に一生懸命に
勉強していました。
人生で初めて
「これ以上は できません」
という所まで
勉強した時期でした。
英語指導のプロになった今、
当時の自分を振り返れば、
ベクトルの方向性(勉強方法)
は間違っていましたが、
ベクトルの長さ(がんばり)
に関しては、
とても良かったと思います。
ただし、
どこまで勉強すれば
オーバーワークになるか、
どのように休憩し、
バランスをとるか
ということは分かっておらず、
がんばりさえすれば良い
と考えている時期
(あの頃の自分に
きびしい言い方をするなら、
がんばっている自分に
酔っている時期)
であったと思います。
「効果を出すこと」 と
「達成感を得ること」
は
別物です。
これらをごちゃまぜにして
考えるべきではありません。
目指すべきは
「効果を出すこと」 です。
たまたまこの二つが
両立することもありますが、
自分の行っているトレーニングが
「効果を出す」 かどうか
常にチェックする
ことの重要性を、
この浪人生活で
痛感したように思います。
◇浪人時の勉強記録
(つづく)